『荒野へ』ジョン・クラカワー 著 荒野に死す #1
※以下本稿は「BE-PAL」2002年11月号に掲載された「青空図書館」の記事をWeb用に改稿し、再掲しています。
1992年9月6日、アラスカ・マッキンレー山北側の荒野で、ヘラジカ猟のハンターによってひとりの若者の変死体が発見された。
死体は、「フェアバンクス142番」と書かれた、錆びた古バスの中で腐乱していた。
その男の名は、クリストファー・マッカンドレス。24歳。
本書『荒野へ』は、その謎めいた死の周辺に取材したノンフィクション作品である。
一読して、圧巻であった。
著者のジョン・クラカワーは著名な山岳家であり、出色のアウト・ドアライターでもある。本書でも、遺族をはじめ、生前に接触のあった人々を丹念に取材して、この真摯な内省力と勇敢な実行力を備えた若者の早すぎる死と、そのなんとも香り高い、一種独特の陰影を描き出している。
以下、概略を記す。
クリスがアラスカの荒野に歩を踏み入れたのは、1992年4月28日である。ヒッチハイクさせてくれた男に腕時計をゆだねて、このようにいい残した。
「時間なんか気にしたくないんだ。何日なのか、自分がどこにいるのかも、知りたくない。どうでもいいことさ」
ハイウェイから40㎞ほど離れた低湿地で、荒野の生活が始まる。そこは、かつてスタンピート・トレイルという名前の鉱石運搬用道路が走っていて、30年前の閉山とともに荒地に戻り、かつて簡易宿泊施設として利用されていた古バスが、閉山後もハンターのために避難小屋として残されていた。
クリスはここで、狩猟採集&読書生活を実践する。ソロー、ジャック・ロンドン、トルストイ、パステルナーク……など。リスやライチョウなどを22口径の銃でしとめ、各種のイモやベリー、キノコなどを採集しながら食いつなぐのだが、次第にカロリー不足に陥る。
7月3日、ある種の手応えも得たのだし、そろそろ荒野生活に終止符を打とうと決心をするのだが、融雪で増水した川に帰路を阻まれ、古バスに引き返した。
そして、荒野に入って112日目の8月18日、クリスは母の縫った寝袋にくるまれて、永遠の眠りにつく。著者によれば、アメリカホドイモの莢を食べて中毒を起こし、体の衰弱も災いして、餓死に至った。持参のミノルタで自写した最後の顔は、「神に召された修道士のようにおだやかだった」らしい。
読み進みながら、以下、二つの点で大いに共感させられた。
ひとつは、クリスという若者その人への共感である。
既成秩序からの脱出指向は、〝青春〟の原型である。
Back to the Nature.
都市から原始へ。
多寡のちがいこそあれ、われわれもかつて同様の衝動を抱えて、右往左往したではないか。裸で生きたいという若い衝動には、むろん、自然死へのあこがれも含まれるだろう。
いまひとつは、クリス・マッカンドレスの両親への共感(同情というべきか)である。
クリスは、東海岸の裕福な家庭に生まれ、何不自由なく育ち、優秀な成績で大学を卒業し、しかし卒業と同時に、預金も就職も持ち物もすべて放棄して、放浪の旅に出る。以後、家族はクリスの消息をまるで知らなかった。
クリスの心は、父親への憎悪を宿していたらしい。父は、最初の妻と2番目の妻(クリスの母)との、いわば重婚状態にあった。その、考えようによってはごく些細な事柄が、クリスの求道者的な自然志向に拍車をかけたらしい。もとより、子供は親の思いどおりには育たない。まして、豊かな物質生活の中で〝男の子〟を育てることは、ひどく難しい。
クリスの父は、苦労して貧しさから這い上がり、NASAのエリート技術者となり、その後、独立してまずまずの成功を収めた。
荒野は、人跡未踏の自然だけに限らない。経済であれ技術であれ、ときに家族でさえ、過酷な荒野そのものともいいうる。
なぜ、現代社会という荒野で戦ってくれなかったのか。
クリスの父親なら、そういいたかったであろう。
★
つい先週のこと。神保町の三省堂書店を散歩していたら、洋書棚でとってもなつかしい本に出会った。
『INTO THE WILD』。この本、昔、書評したこと、あったっけ……。ドキドキ。
そうそう! これこれ。ペーパーバックで出てるってことは、まだ売れてるんだ……。表紙に「NATIONAL BESTSELLER」とあるし。
さっそく買って帰って、大昔のファイルをひっくり返してみた。
あった。
『BE-PAL』2002年11月号。もー17年も前。40代!
へぇー。こんなこと書いてたんだ
ちょうどDECO・HPリニューアルのタイミングで、更新頻度稼ぎのために「団吉アーカイブス」をアップする話になったので、この書評原稿からはじめることにいたします。
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