『風雪のビバーク』松濤明著 荒野に死す #3

『新編・風雪のビヴァーク』
松濤明著
山と渓谷社 1000円+税

※以下本稿は「BE-PAL」2003年4月号に掲載された「青空図書館」の記事をWeb用に改稿し、再掲しています。

いま、この国で、“荒野の死”がもっとも高い頻度で起こる場所は、山である。

山岳遭難モノは、近代登山開幕以来、これまで数多くの書物が書かれていて、むろん名著も多い。
かつて、むさぼり読んだ時期があり、今回、とりあげる一冊を選ぼうと思いつつ、『単独行』か、それとも『風雪のビバーク』か、迷った。

『単独行』の著者・加藤文太郎は、戦前に活躍した伝説的登山家である。単独で次々に記録的な山行を成し遂げ、周囲に心酔者を増やしていく。そして、どうしても……とせがむ若者の熱意にほだされて、初めて2人パーティを組み、ともども不帰の人となった。

『風雪のビバーク』は、厳冬期の北アルプス霊峰・槍ヶ岳に逝った松濤明の記録である。松濤は有元克己という山友とふたりで冬期槍ヶ岳縦走に挑み、北鎌尾根で猛風雪の餌食となる。
《サイゴマデ タタカウモイノチ 友ノ辺二 スツルモイノチ 共ニユク》
この松濤明の最後のメモ書きがひどく印象的で、若い山好きの間で評判になり、私も高校生のころに読んだ。30年以上前のことなのだが、いまだに覚えている。今回は、このフレーズに敬意を表して、『風雪のビバーク』のほうを再読してみよう。

手元の本の奥付けを見ると、すでに26刷を数えている。あいかわらず根強い人気を得ているらしい。

この遭難は、昭和24年1月6日に起きた。

先発の松濤と後を追った有元は、12月28日に合流し、北鎌尾根に取りつく。大風雪、ラジウス故障、天幕破棄(凍って重荷になるので)……。次々に悪条件の重なるなかで、登るか/降りるかの岐路に立たされるのだが、2日夜、つかの間の星空がのぞき、ラジウスの応急修理もできたので、登攀再開に踏み切った。

4日「フーセツ」。
5日「フーセツ」。
6日「フーセツ」。

松濤の登高日記は、凍傷のために次第にカタカナ書きとなる。

《全身硬ッテ力ナシ 何トカ湯俣迄ト思ウモ有元ヲ捨テルニシノビズ、死ヲ決ス》

このフレーズのみを取り出して読めば、若いクライマーたちにありがちな……、ヒロイックな山岳ロマンティシズムの“甘いにおい”を嗅ぎつけてしまう読者もいるかと思われる。

しかし、読み直してみると、どうもそうではない。読めば、松濤が当時の登山会をリードするエキスパートであったこと、この山行が人手を頼らない厳冬期登山の画期的な試みであったことがよくわかる。

「最後まで戦う」とは、松濤が単身下山して救援を請うことであろう。
しかし、もはや生きて下山できる可能性は万に一しかなく、その間に友が死ぬことは明白である。

並んで死ぬか。離れて死ぬか。

有元は、一言も書き残さなかったが、オレの分まで戦ってくれ……と言ったにちがいなく、猛風雪の中で、極限状態のふたりの視線が、幾度となく絡み合ったものと想像される。
ともかくも、猛風雪のもとで松濤は、「友の辺に死す」ことを決心した。
しかし、死までの時間は、思いのほか長かったらしい。

《今十四時、仲々死ネナイ 漸ク腰迄硬直ガキタ……》
《我々ガ死ンデ 死ガイハ水ニトケ、ヤガテ海ニ入リ、魚ヲ肥ヤシ。又人ノ身体ヲ作ル、個人ハカリノ姿 グルグルマワル》

厳冬期であったから、自分たちの遺体は、すぐには発見されない……。やがて春の雪どけ水に流されて、体も水に溶けて、この惑星のどこかをめぐり続けるものと考えたらしい。松濤は、カメラと手帳をライファン袋に入れ、雪どけ水に流されにくい、高みの岩陰に置いた。

しかし、流されなかった。

所属山岳会の数次におよぶ捜索によって、半年後の真夏に発見される。すでに覚悟していた捜索隊は、遺骸を見ても涙を堪え得たというが、この手帳には、泣かされたらしい。

《岩頭に直立し、読み上げる杉本、聞く者、ただ滂沱たる涙》

と、捜索山行記録にある。

かつて私にも、山男の友がいた。

「本当は、人が死ぬから、山へ登るのさ。だからこそ、山に魅せられる。オレは、死なないよ」

そう豪語した友も、残雪の山に二人パーティで向かい、彼のみ逝って、すでに20数年がたつ。
死せる友、せめて残る者たちを生かしめよ。

そう自戒するほかない。

「荒野に死す」の3冊目です。

書評当時に私が読んだのは、『風雪のビバーク』(松濤明、二見書房、「特選山岳名著シリーズ」1970年)。書店をのぞいてみると、『新編・風雪のビヴァーク』(松濤明、ヤマケイ文庫、2010年)がありました。

ちなみに、『単独行』(加藤文太郎)も「特選山岳名著シリーズ」(二見書房、1970年)を持っています。これも、『新編・単独行』(加藤文太郎)としてヤマケイ文庫(2010年)にはいっています。

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